きのう月曜日にブログを更新するつもりでしたが、きのうは、審議会やらなんやら重要な会議が目白押しで、PCをあけるヒマもまったくありませんでした。メールも見られず、あっという間に1日が終わってしまいました。きのう私の人生観をアップすると書いておきながら、何もしなかったので、親友のとある有名雑誌の編集長から携帯に電話がありました。「早く人生観アップしてよ」はい、わかりました。今からします。私のブログを、オピニオン雑誌のように、毎日講読してくださっているマスコミの方が、たくさんいらっしゃるので、私もうかつに書けず、これでも結構気を使って書いているんですよ。
人生観とか人生哲学というと、何かとても横柄に聞こえるかもしれませんが、わが天川家に代々伝わる我が家の人生哲学がありますので、それをご披露させていただきます。まず、わが家における「常識」があります。それは、世界共通語としての英語は、できて当たり前。英語は、特技にはカウントせず。英語と日本語はバイリンガルで、その上に、自分の専門分野を持て!というもの。これは、わが家の家訓のひとつでもあります。父によく言われました。父の仕事の関係で、英語圏で主に教育を受ければ、英語なんかできて当たり前の世界なんだから、英語ができることを鼻にかけてはいけない。英語圏に10歳のthreshold(臨界期)までに数年住んでいれば、バリンガルになるのは当然のこと。バイリンガルになれないほうがおかしい。だから、英語を特技とするな!というのもです。次に、アメリカのように、本当のプロ養成は、大学院ではじめて実行されるので、大学院へ行って、はじめて専門教育を受けることができるというもの。アメリカは、高校まではそんなに難しいことを学ぶわけではないのですが、大学に入って、専門教育の準備をするため、高校までは日本の生徒のほうが、数学などのレベルは高いと思いますが、大学を卒業した段階では、アメリカの学生のほうが勉強しますので、大学卒の段階で、レベル的には、日本を追い抜くと思います。これは、実際に私が、アメリカの学部と大学院両方へ行って、実感した結論です。父によく言われたことは、「ゆっこはパパよりも英語ははるかにうまい。でも、語学屋にはなるなよ。必ず誰にも負けない、世界に通用する専門分野を持てば、一生それで食べていける。男にすがって生きる時代ではない。女性も自立し、男性と対等に生きる時代だ。」これが、明治38年生まれの父のことばです。わが父ながら、大変先見の明があり、時代の先端を行っていた人であったと、尊敬しています。長期的visionが日本政府には欠落していると、よくアメリカほホワイトハウスの高官たちは、指摘をしますが、そんな中で、父は、本当に日本国の将来を憂いて、20年後、50年後の日本の国益を常に考えている人でした。だからこそ、故福田元総理や故吉田元総理、故池田元総理などにご意見番として重用されたのだと思います。父のこうしたアドバイスがあったので、高校時代は、私は同時通訳にあこがれ、上智入学と同時に18歳で同時通訳者として国際会議にデビューしました。上智の3年生になるまでの2年間のアルバイトは、同時通訳で、当時は同時通訳者が不足していたため、仕事は山のようにありました。政治、外交、経済、農業、医学など、本当に多岐にわたる分野で、通訳の仕事をさせてもらいました。しかし、アメリカに行って、すぐに私の考えは変わりました。同時通訳は、確かに大事な仕事です。しかし、英語を母国語とするアメリカでは、同時通訳者の社会的地位はそれほど高くないということと、日本ほど重用されないということが。ジョージタウン大学院に入学したとき、同時通訳になりたいと言ったら、政治学部の教授たちに、一斉に、"Why?"といわれました。大学院で勉強して、なぜ同時通訳者になるのだ?というのが彼らの疑問でした。これは、アメリカと日本の価値観の違いでもありますが、私もアメリカの大学院へ行っている間に、自分の将来のことを考え、同時通訳のプロとして一生食べていくことをやめて、他のキャリアを考えるようになりました。同時通訳は、すでに専門訓練も1年間サイマル・インターナショナルという当時は、トップの会社で受けて、デビューしていたので、必要なときは、逐次通訳くらいならできるだろうと思ったからです。現に、政府や外交の専門通訳は、今でもお声をかけていただくので、役に立っています。しかし、アメリカへ行って、私の人生観はがらりと変わりました。ジャーナリストも面白い職業だな・・・と。アメリカの大学の優れた点は、インターンシップという単位制度があり、on the job trainingとして、いろいろなところで実習をさせてくれることです。私は、州議会とテレビ局でインターンをしました。このときの経験が、のちのちものすごく役に立っています。
上智在学中に、国家公務員の試験も受けました。こちらもかろうじて受かりましたが、父が、国家公務員は、これからの時代、1970年代のようには尊敬されないだろう。むしろ、公務員は、これからの時代、国民から批判される立場になるので、国家公務員よりは、NHKなどのキャスターのほうが将来の役に立つ、というのが父のアドバイスでした。1981年のことです。そのころは、まだ国家公務員も今ほどたたかれていませんでしたが、父はすでにその時、いまのような時代がくることを予測していたんです。幸いNHKも受かったので、父の勧めるとおり、NHKに入りました。父のアドバイスを受け入れて、今は本当によかったと痛感しています。私は、父のような長期的visionに立った先見の明は残念ながらありません。でも、家に世界一の家庭教師がいたので、何でも聞けたし、何でも相談することができました。さすがに元大学教授だけあって、どんなことを聞いても、的確に教えてくれました。英語の勉強のしかた、数学の学び方、哲学の考え方など・・・。幼稚園のときから、即実践で、何でも教えてくれたので、塾など行く必要もなかったし、また行ったことはありませんでした。
今私がほしいものは、ただひとつだけ。自分の子どもが欲しいです。そして、わが子に、父が教えてくれた天川家の伝統と家訓をしっかりと教え、引き継いでもらいたいと思っています。
最近の大学生は、私が以前に教えたことがある大学では特に顕著でしたが、英語が苦手という学生が多くいます。私は、英語教育の専門家ではないので、英語を教えることを専門にはやっていませんが、私が一番苦手なのは、英語を日本人の生徒や学生に教えることです。というのは、受験英語というのを全く経験がなく、私自信がわからないため、なぜ学生がわからないのかが、わからないからです。たとえば、前任校は、偏差値からいうと、日本全国で底辺の大学でした。そこでの学生は、一般動詞とBe動詞の区別がつかないんです。でも、私には、なぜ大学生が、一般動詞とBe動詞の区別がつかないのかが、わからないんです。アメリカに住んでいれば、幼稚園のときから、自然と一般動詞とBe動詞なんか区別して使い分けていますから、日本語の文法を自然に身につけるのと同じで、その区別がつかないこと自体が、理解できないんですね。日本語を話せる人が、だれでも日本語を外国人に教えることができるかというと、そんなことはありませんよね。私も、日本語を教えることなど、全くできません。それと同様で、英語も私にとっては、母語ですから、英語をどう教えていいのか、わからないんです。ま、そんなもんでしょうね。
それから、大学教授として教壇に立ったことのある父がよく言っていたのは、「難しいことを難しく言うのは、自分がわかっていないから、権威があるようにみせるために、わざと難しく言うんだ。本当にわかっている人間は、だれにでもわかるように、わかりやすく説明できるはずだ。」ですから、私が、ミズーリ州大学院で必修の政治哲学を履修していて、HegelのDialectics(弁証法)のレポートを書かなくてはならなかったとき、父に国際電話をかけて、いくつか質問しました。しばらく考えてから、父は、電話で、15分ほどでしたが、大変わかりやすく説明をしてくれました。大学院の講義はまったく理解不能でしたが、父のレクチャーを聞いたら、すぐに理解できたので、それをもとにレポートを書いたら、政治哲学教授に、「こんなにすぐれたHegelの解釈を見たことはない。自分の助手になって、大学に残らないか・・・」といわれました。私は、正直に、父に教わったといったら、その教授は、ぜひ父に会いたい、と言って、しばらくしてから、わざわざ日本へ父に会いに行かれました。以後、私の教訓のひとつに、「どんなに難しい内容のことも、プロならわかりやすく解説すること」というのがあります。これをモットーにしていたら、テレビ、ラジオ、雑誌の解説などコメンテーターとしての仕事が続々と依頼されるようになりました。おかげさまで、この不況の時代でも、メジャーマスコミで、毎月のレギュラーの出演や執筆は、7本いただいています。(これは、自慢をしているわけではなく、よく考えれば至極当たり前のことなんですが、父から人生を学んだ例として書かせていただいております。)
時々、国際会議などで、英語でスピーチなどをすると、私のことを知らない初対面のアメリカ人は、「英語がお上手ですね。どこで習得されたのですか?」と聞かれることがあります。でも、これは、私にとっては、ほめ言葉でもなんでもありません。だって、アメリカに住んで、アメリカで教育を受けたんですから、英語なんて話せて当たり前の世界。下手だったら、困りますよね。私の頭の中では、英語なんてできて当たり前の世界ですから、英語ができることが特別とは思ったこともありません。日本では、英語ができると、何かすごい人のように言われることがありますが、上智大学では、帰国子女が当たり前のような大学で、留学したことさえない学生は、私が学生時代にいた外国語学部では、希少価値の存在でした。それだけ、上智というのは、国際化していた大学なんでしょうね。
あと、つまらないことですが、アメリカに住んでいれば、自動車の免許を持っていることも当たり前。人間が空気を吸わないと生きていけないのと同じくらいの感覚で、免許がないと生きていけない世界です。現在の金融危機のあおりを受けて、アメリカの自動車メーカーのBig3が経営破たんするかもしれないといって、議会で公的資金の投入を訴えていますが、アメリカでは、3億人いる人口のうち、7人にひとりは、何らかの形で自動車産業関連で働いているというデータがあります。それだけ、自動車に生活を依存している社会ですから、免許なんて取るのも簡単。持っていて当たり前なんですが、大変申し訳ないけれど、つい最近、私の親友のお嬢さんが、高卒で、英語もできなければ免許も持っていないということを知って、仰天してしまいました。40歳くらいの方で、高卒。英語も全く挨拶もできない。アメリカのレストランで英語で注文もできない。免許もない。資格も何も持っていない。この事実を親友から聞かされて、実は、資格も何もないので、現在OLとして努めている会社をリストラされそうだ、という相談を受けたとき、「え〜、いまどきそんな人がいるの?」と内心驚いてしまいました。私は、学歴主義でもないし、アメリカのRice国務長官のように、初対面の人に必ず、「あなたは、博士号をもっていますか?」という質問はしません。でも、私の親友からの相談を受けたとき、私は、いまどきそんな人がいるの?と本音では思ってしまいました。その人は、一般企業の下請け会社に親の縁故で無理やり就職したそうです。
私は、日本国民全員が英語が話せる必要があるとは思っていませんし、英語が公用語になる必要もないと思っています。英語が話せなくても、仕事に支障がなければ、それはそれでかまわないというスタンスです。商社や外交官など、英語を使わなければ仕事に支障がでる人は、英語ができて当たり前とは思いますが、だからといって、英語を日常業務に使う必要のない職種もあるわけで、そういった人たちまでもが英語ができなくてはいけないとは、ゆめゆめ思っていません。私が、なぜその親友の娘さんのことでびっくりしたかというと、何かひとつくらい資格やとりえがあると思っていた人だったので、それが何もないということを聞かされ、実は、その娘の父親でさえ、娘は何も資格もないので困っているという相談だったからです。その娘の現在の仕事は、キャリアのラインの仕事ではありません。あくまでも高卒ですから、OLで、アシスタント的な仕事ではありませうが、それでも外国人相手の仕事に従事しているから、私は仰天したわけです。挨拶程度の英会話もできなくて、どうやって日常業務をこなしているの?とたずねたところ、常に通訳を使っているそうです。ま、日本には、通訳と称する人は、レベルを問わなければ山のようにいますから、その程度のコミュニケーションなら、たいていの通訳にはできるはずですから、不自由はないのでしょうね。
今、私が帝京大学の学生に言っていることは、私が担当している学生は、経済学部など社会科学系の学部で、文学系ではないので、将来のことを考えたとき、取引などの折衝が英語でできる程度の英語力は、これからの時代、常識として必要ということです。英語の専門家になるわけではないので、コミュニケーションが円滑にできればよい。その上で、自分が誰にも負けないような専門分野をひとつ開拓すること。それが、大学における自分探しの旅である、ということ。先日、学生に私の親友の娘が何の資格もなく、今リストラにあおうとしているということをマスコミ論の講義で言ったら、200人くらいいる学生の反応は、「それは、本人の努力が足りないから、自業自得だ」という、なかなか手厳しいものでした。学生も、日頃は口に出しては言いませんが、実は、社会をよく見ていて、冷静に受け止めているんですね。こういう学生に接していると、安心します。大学生の多くは、大学に在籍している間に、なるべく多くの資格を取りたいといっています。私は、それが、将来の実務に役にたつものなら、何もないよりは遥かに良いと思いますし、また学生にもencourageしています。私にとっての最高の教師は、父以外のだれでもありません。その父から学んだ人生哲学は、私の人生そのものであり、私の人生の指針でもありますので、自分の体験は、学生にもshareするようにしています。それを受け入れるかどうかは、学生個人の判断であり、私の考えを学生に押し付けるつもりもないし、また学生には、私と迎合する必要はない、と常にいっています。自分の考えをもつこと、そして、自分自身を見い出すこと。大学生としては、これが必要と考えます。学生には、一度しかない人生だから、時には冒険をしてもいい。しかし、人生を後悔しないように、人生の先輩として、ヒントをあげることが、教育者としての任務であると考えます。
天川 由記子(あまかわ ゆきこ)
1958年12月3日東京生まれ。帰国子女。
上智大学外国語学部卒業。University of Missouri-Columbia大学院政治学部卒業(MA)
NHK専属キャスター、テレビ東京アナウンサーとして10年間勤務ののち、現在は、帝京大学短期大学 助教授。
専門は、国際関係論、安全保障、アメリカ研究。著書、論文多数。
趣味は、油絵、家具製作。
2008年12月09日
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